新近江名所図会
新近江名所圖會 第443回 逢坂山を鉄路で越える-国内初?の設備があった膳所駅-
明治13年(1880)7月15日、京都-大津間の鉄道が開業しました。今でこそJR線では、京都-大津の区間を9分で結んでいますが、開業時は1時間2~4分かけてこの区間を結んでいました(曽田2016)。そもそも、現代と明治13年では路線が大きく異なっていて、現在は京都・山科・大津の3駅ですが、開業当初は京都・稲荷・山科(以上、京都府)・大谷・馬場・石場・大津(以上、滋賀県)の7駅が設置されていました(図1・2)。のちに馬場駅は大津→馬場→膳所、大津駅は浜大津(昭和44年廃止、びわ湖浜大津駅は昭和56年開業)と改称されています。


開業時の路線を見てみると(図1)、京都駅を発ったあと大きく南に迂回して山科駅・大谷駅に向かい、馬場駅で折り返して湖岸近くの大津駅に入るという経路をとっています。これは当時の技術的な問題点があったため、このルートがとられることとなりました。要因としては、逢坂山や東山を貫通するような長大トンネルの開削技術がなかったこと、機関車性能がよくなく京滋間の勾配を上ることができなかったこと等が挙げられます。
ひとつめのトンネル開削技術は、東海道線開通に伴い国内初の日本人だけで完成させた逢坂山隧道が掘られていますが、長区間の開削はまだできませんでした。そのため、山々の合間を縫うように南へ迂回するルートがとられました。京都-大津間が開業して約40年経過した大正10年(1921)に新逢坂山トンネル・東山トンネルが開通することで、京都-大津間が一直線上に結ばれるようになりました。
ふたつめの急勾配を上ることができない点に関しては、機関車の性能向上はすぐに対応できないので、線路の敷設方法で工夫を図りました。その工夫の痕跡が膳所駅に残されています。
おすすめpoint
膳所駅の1番乗り場の北側には京阪電鉄石山坂本線の線路が伸びています(写真1奥側)。よく見てみると京阪線はJR線に比べてやや低い場所に線路が敷かれ、さらにびわ湖浜大津方面に向かって下っていき、逆から見るとJR線は京都方面に上がっていくように見えます(写真2右側)。その両線の間に写真では少し見にくいですが、フェンスで囲われた場所があります。これが明治時代にスイッチバックという、急勾配を緩和するために列車が折り返しをしながら勾配をジグザグに上る設備の線路が敷かれていた痕跡なのです。


実は馬場駅は、折り返し構造をもつスイッチバック駅としては日本最古とも言われます。なお、本格的なスイッチバック構造をもつ駅は群馬県安中市の松井田駅(信越本線:明治18年開業、昭和37年駅移転に伴い解消)が最古とされます。
馬場駅が東海道線のスイッチバック駅として機能していた期間は明治13年から明治22年までのたった9年間でした。なぜこのような線路を敷設したのかという点ですが、当時は西南戦争などによって政府が資金難であったこと、経費を削減するため線路敷設を大津までとし、大津からは琵琶湖舟運(太湖汽船)を利用し長浜へ向かい、長浜から敦賀や東日本に向かうようにしたためでした。その結果、琵琶湖岸に近い浜大津付近に大津駅を建設することになりました。しかし、逢坂山隧道から大津駅に向かうには急勾配すぎたため、勾配を緩和する必要が生じたことで馬場駅が設置され、スイッチバック構造がとられました。
明治22年に馬場-関ヶ原間が開業したことで、馬場-大津間は支線となります。路線は大津線(のち浜大津線)として残り、昭和44年まで旅客線(~明治22年、明治31年~大正2年)・貨物線として営業を続けていました。この間の大正2年に大津電車軌道により膳所本町-浜大津間が開業、官設鉄道の馬場駅を大津駅、大津駅を浜大津駅に改称しています。またこの頃は、官設鉄道と大津電車軌道では線路の幅(軌間)が異なっているにもかかわらず、同じ線路を共用するために三線軌条という3本の線路が敷かれていました。戦後には国鉄、京阪(大津電車軌道が昭和4年に合併)、江若鉄道の3社が同一線路を共用するという珍しい風景がみられました。線路自体は昭和50年撮影の国土地理院航空写真でも確認ができるので、撤去されたのはそれ以降となります。現在では京阪線からJR線方向に登る坂が往時の名残となっています。
周辺のおすすめ情報
現在、京都-大津間の駅も京都・稲荷・馬場(膳所)以外の駅は、大正10年の新逢坂山トンネル・東山トンネルの開通に伴う新線の開通や大津線の廃止によって廃駅もしくは移転してしまい、路線跡自体も京阪線や名神高速道路、国道1号と重なっています(図2)。しかし、旧線跡を巡ると当時の痕跡が見受けられる場所もあります。
ひとつは、びわ湖浜大津駅から島ノ関・石場駅方面に向かうと、大津中央郵便局向かいなどで線路沿いに石垣が築かれている場所があります。これは、線路を敷設するにあたり当時の琵琶湖上に築堤を築き線路を敷いた跡になります。築堤といえば東京の高輪築堤が数年前に話題になりましたが、同様のものが琵琶湖にもあったのです。大津中央郵便局の近くに行かれた時は、ぜひ探してみてください。
ふたつめは、新近江名所圖會第15回でも紹介されている逢坂山隧道です。逢坂山隧道は国内初の日本人だけで完成させた山岳トンネルで、昭和35年に鉄道記念物、令和6年に土木学会推奨土木遺産にそれぞれ指定・認定されています。また、平成20年度には経済産業省により「山岳・海峡を克服し全国鉄道網形成に貢献したトンネル建設等の歩みを物語る近代化産業遺産群」の構成遺産に認定されています。ちなみに掘削をしたのは生野銀山の坑内作業員で、約20ヶ月かけてノミやツルハシを使って掘りきったといいます。現在残るのは東口だけで、西口は大谷駅とともに名神高速道路建築に伴う盛り土によって埋没しました。昭和37年に日本道路公団によって跡地の上に石碑が建てられています。
ほかにも鉄道黎明期の痕跡は残されているので、旧線跡をめぐってみてはいかがでしょう。
【アクセス】
公共交通:JR琵琶湖線「膳所駅」、京阪電鉄石山坂本線「京阪膳所」下車すぐ
自家用車:名神高速道路大津ICから5分
【参考文献】
結解喜幸(2020)『路線百科 東海道本線』交通新聞社
曽田英夫(2016)『発掘!明治初頭の列車時刻 鉄道黎明期の『時刻表』空白の20余年』交通新聞社
(調査課 福井 智樹) 福井智樹の活動はコチラです。
★★★ お知らせ ★★★
今年は、織田信長が安土城を築いてから450年目を迎える節目の年。この安土城、近世の城の要素を初めて兼ね備えた「近世城郭の出発点」だとしばしば指摘されていますが、突然現れたというよりも、それまでの城の要素を信長が集大成し、築き上げた結果とも言えます。
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